子どもの話をどこまで聞いたらいいのか

 別にそこまで言わなくてもいいんじゃないのかな。と思うことが学校ではよくある。子どもは指導されるべき存在というアンコンシャスバイアスが、学校にはかなりあるように思う。というよりも、それが崩れれば、子どもをコントロールしようとしている人が困るだけではないのだろうか。

 子どもたちをただただ自由にしてあげたいと思う。子どもという時間は2度と戻っては来ないのだから。衣食住が比較的保障されて、いろんな人に迷惑をかけてもだいたいは許してもらえて、やり直しができるのは、子ども時代だけかもしれない。

 もちろん、子どもも大人も1人の人間だから、申し訳ないけど今はやめてな。とか、ごめんやけどそれは誰々が困るねん。と言えば、子どもだって極悪人は少ないのだから、それを察して何かしらの行動はしてくれるのではないかと思う。それを、ルールとか礼儀とかくだらない見栄のようなもので縛り付けて、本当の意味で理解し合おうとしないから、子どもだってこちら側を見切ってしまうのではないだろうか。こちらを否定したりジャッジしたりするために近づいてくる相手の言うことをなぜ聞かなければならないのだろうか。大人だって嫌である。しかし、それを子どもに平気で強制してしまうところが、学校ということなのかもしれない。

 子どもは相手によって態度を変える。これは大人の世界で言えば当たり前の話で、上司には物申さず、部下には厳しいという日本の空気を読むのが良いと勘違いされている、忖度いらん気遣い文化の空気を子どもたちも吸っているからに他ならないだろう。風通しが悪いのだから、言いたいことを言える人と言えない人がいて当たり前なのに。どうして、「あの子が人によって態度を変えるのはなぜだろう? 何かあったのだろうか? こちら側(大人)に原因は無いのだろうか?」という思考にならないのだろうか。もちろん、私自身も常々そういった思考が出来ているわけではないので、自戒の念を込めて書いているところであるが。

 とにもかくにも、子どものことを考えて、強制しない・脅迫しない・ジャッジしないことが、子どもが自分から考えて学び直す機会を持たせることにつなぐだろう。

 人間は自分の心から本当に変わろうとしないと、変われないし、「腑に落ちる」ということ、「納得がいく」ということが、人間の一番大切な部分だと思う。